|
ある院生へのメールから
飯山 昌弘
- 否定の効用
-
相変わらず威勢がいいですね。そこが君の魅力です。確かに、学問的に成長するにはある種の「仮想敵」を想定し、そこへ向けてメッセージを送り続けるというのも一つの方法だと思います。自分と異種のものを対抗的に認識することによって、反射的に自己に関する認識を鮮明にし、自覚化するというやり方です。自分を理解するためには、良い友と良い敵を持つことです。人間の認識は、「何々ではない」という「差異化」というプロセスによって成り立っており、「差異性」(difference) の認識こそが「意味」形成の源泉です。「差異性」を見出せないところに、いかなる意味の形成もないということです。その意味で、自己に関する定義を含めてあらゆることに関する定義は、ポジティブな定義はあり得ず、「何々とは違う」という形でのネガティブな定義しかあり得ないということになります。例えば、「正しいこと」「正義」「ノーマル」などは直接定義することはできず、「これは間違っている」「これは正しくない」「これはアブノーマルだ」ということによって反射的にしか定義できません。「異常」を認識することによって「正常」を定義しているのです。こういう逆説はあらゆる局面で見られます。紛争をとおして平和を認識する。犯罪によって社会の秩序と守るべきルールが明確化する。死によって生の意味を確認する。といったことです。自己の学問も一種の「自己発見」であり、相対物なしにはこのプロセスは成り立ちません。ですから、大いに怒って、反抗して、時には潰され泣いて、成長してください。無難な学問は大成しません。今の君の姿勢に、大いにエールを送ります。わかったような顔をしている、おりこうちゃんの「お勉強」なんかクソくらえ!
-
農業の特殊性一
- ところで農業の特殊性についてですが、一言で言って農業は他の産業と比べて生産性が極めて低い、という点にあると思います。土地生産性、労働生産性が他の産業に比べ非常に低い。資本の投入に対して利潤が低いので、資本主義経済の中では産業として自立することは非常に難しい。にもかかわらず、食料生産は人類が生きていく上で不可欠なものであり、従ってそれを市場の論理の下で淘汰させてしまう訳にはいかない。
そのへんが農業を各国で特別扱いする理由だと思います。
だから、最近は単に農業を補助するという発想から、農業が有する多面的機能などの「正の外部経済」に着目して、それに対して正当な対価を支払うという発想に転換し、産業に対する補助ではなく、農業とそれの受け皿になっている農村地域に対して、工業を中心とした「負の外部経済」を放出している都市から所得の再分配を行うという方策へと展開してきた訳です。世界的にも農業保護政策の削減・撤廃の方向へ動きつつ、
確実に農業・農村の支援政策が名前を変えて一方で採られているのはこういった事情によるものです。これは「外部経済の内部化」を促し、経済学的にも好ましい状況を産み出すものと考えられています。
要するに、農業は資本主義および市場経済の下では産業として自立することは論理的にも困難であり、しかしながらそれは人類にとって不可欠なものであるため、
「文化としての農業」という視点から何とか現在の市場経済の中で農業を持続させようとしているのです。よーく考えてみると、何も農業を資本主義下の「産業」として位置づけなければならない根本的理由はないのです。資本主義以前に「農」という営みは人類の文明が始まって以来継続しているのですから、それを資本主義や市場経済に売り渡さなければならない必然性はないのです。だから無理して農業を産業として自立させることはないのです。すべての人間の営みを市場化しようとすることは、近代の「経済学」イデオロギーの産物です。それだけ近代においては、「経済」という範疇が普遍化し、人を支配(植民地化)してきたということでしょうね。これは一種の「疎外」です。最近は、環境までも市場価値で表現しようとしていますが(環境評価法)、これもやっている人の多くは上記のようなことは意識せず(少なくとも学問内在的には)、無批判に研究が成立しているようです。これも「哲学がない!」です。
-
農業の特殊性二
- 農業の特殊性に関しては、哲学的な理解も含めてしっかり踏まえてください。様々な「産業」は資本主義の下、成長したり衰退したりして淘汰され時代の要請に沿ったものが残ってゆきます。「産業」という概念そのものに既に資本主義のフィルターがかぶっており、その資本主義も時代の産物です。現代はまさに資本主義の時代ですから、それはそれで良いのです。産業も淘汰されることによってわれわれが必要とするものが残り、人類の福利も向上するのです。しかし、この前書いたように農業はそういった資本主義には馴染まないものなのです。資本主義的概念である「産業」として捉えることには無理があるのです。競争原理に基づいた市場メカニズムにさらすと、原理的に他産業に押しやられてしまう運命にあります。生産性が低いという点は先に述べましたが、
所得が向上しても食料需要はそれほど伸びませんから、どうしても経済成長の恩恵は他産業へと行ってしまいます。成長してないと資本主義はコケます。投資したものが増えて返ってこなければ資本主義は成立しませんからね。ここに本質的に資本主義の制度として無理なところがあるのです。自転車みたいなものかな。
食料生産は、こういった時代的産物である資本主義とは関係なく営まれるものです。しかし、現代は資本主義が支配している時代ですから、否応なしに農業も資本主義のメカニズムの中に組み込まれてしまいます。そこで、食料生産を資本主義下で存続するために何らかの人為的調整が必要となるのです。これが「農業保護」の真の姿です。市民社会以前の階級社会では、農民は低い労働生産性と低い所得に甘んじていなければなりませんでした。しかし、それがその時代の秩序だった訳です。市民社会以降の資本主義社会では、良かれ悪しかれ農業も含めすべてのものが資本主義の傘の下に置かれ、妙に平等化してしまいました。これは、ある意味で農業にとっては非常に酷なことだったのです。これが他の産業であれば淘汰されるに任せて放っとけば良かったのですが、農業はそういう訳にはいきません。時代のシステムとして資本主義を維持することも必要なのですが、食料生産を維持することは経済体制とは関係なく必須のことです。われわれが資本主義の中に生きているから、農業も競争原理にさらされ他の産業と平等に扱われるべきだ、という見解が出てくるのですが、これは間違っています。われわれは、資本主義の中にいながらにして資本主義を相対化する必要があるのです。この発想がなかったならば、とうに資本主義は滅んでいたことでしょう。修正資本主義という、実は社会主義化である人為的調整をした結果、今の資本主義体制があるのです。一方で、共産主義を目指した多くの国が市場原理を導入して、実質的に資本主義化してきたのも歴史的事実です。グローバル化という現象の一断面は、この両者の合体であると考えることができます。
話が大きくなりすぎましたが、このような歴史的・哲学的認識を踏まえないと農業の特殊性は理解されないと思います。
- それでは、論文頑張ってください。また議論しましょう。
| |